当教室で中国語のレッスンをご受講いただいているKuriさんは、語学だけではなく、中国の歴史、文学、食文化、民間伝承、風習など様々なことに興味をお持ちで、常に体験、観察、考察をされています。飽くなき好奇心を持って中国の世界を体験されているKuriさんのブログをシリーズ化しました。
中国語を学んで数年経過しました。
学び始めた時から、そして今でもよく尋ねられるのは、『なぜ,中国語を始めたの?』という質問です。
50歳の半ばに突如中国語を始めたことがどうも興味をひくようです。
仕事のためのスキルアップでもなく、学生時代に少し習ったという学び直しでもないようだし、英語ではないのはどうして?
質問を投げかけてくださる方は、50代で新たに中国語を始めるのは何故だろう? と疑問に思うようなのです。
「台湾で台湾茶のお店に行った時、店員さんの説明が分からなくて残念でね、『あぁ中国語ができたらいいのになぁ。』と思ったんですよね。」と答えると「なるほどね。」と納得されたり、「台湾なら普通話ではだめよ。」と教えられたり、反応が様々で面白いです。
でも、そんな中国語事始めの“理由”を話しながら、同時にちょっとした違和感も感じています。私が話している事は、理由というより小さなキッカケに過ぎないのでは?
実際のところ、私が中国語を始めた理由は、言葉で説明できないような記憶や体験の重なりのような気がします。
「冰(bing)」という音を初めて聞いた時のキーンと冷えた感じ。見上げたら深い紺色だったチベットの空色。中国茶を初めて飲んだ時の美しい香り。荒唐無稽な中国の昔話。精巧で優美な工芸品の数々‥。
50年以上生きていても、まだまだ知らないことばかりだなぁ、と思い知らされたのが、たまたま中国だったと言えるかもしれません。
いずれにせよ、はっきりと理由が整わないまま、まずはやってみて、合わなければ次!くらいの気持ちで私は中国語を始めました。
今思うことは、目標はあったほうが良いけれど、理由はいらないし、ないほうが縛られなくて自由を感じると言うことでしょうか。
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